可能性と後悔

わかりあえない僕たちは

森山大道の世界

会期が明日までだったので、本日は雨のなかいそいそと原宿アートギャラリーAMの森山大道展に行ってきました。

詳細はこちら(http://www.fashion-press.net/news/20303)ですね。

ところで、森山大道さんの写真を見たことないひとのためにざっくり(ぼくなりに)一言で表しますと、“街角のエロス”といったところ。荒木経惟さんの写真にちょっと近いかも。

(そんなに詳しいわけじゃないので「全然違うよ!!」って意見あったらコメントください…)

とりわけ今回の展覧会は「60年代後半から80年代前半の街・路上でのスナップショット」とのことだったので、昭和の東京好きのぼくにはグッとくるものがありわざわざ行ったんですが、行ってみたら予想外の発見が。

写真から滲み出る妖気、蛇の如きぬらぬらとした情感は案の定素晴らしかったんですが、それ以上にそうした印象を増幅させるための空間演出が凝っていた。展示室の歩行ルートが“橋”のように設計されていて、あたかもコンクリートむき出しの床に水が満ちているかのような錯覚を覚える。写真展というよりむしろ、水とエロスのインスタレーション

今回の橋にはおそらく、二つの役割があった。厳密には区別できるようなものじゃなくて相互補完的なんですけど。

一つ目は、水を想起させること。水と女性、湿気とエロス。そういう親和性の高いワードを鑑賞者に思い起こさせることで写真を視覚的に楽しむだけじゃなく、よりインタラクティブな体験へと昇華させた。

二つ目は、異界との境界としての役割。橋ってのはもともと「端」と同じ語源で、「こっち」と「あっち」を繋ぐ境界という意味があります。そうした象徴性を前提として、鑑賞者を森山大道の妖艶な世界へと誘う作用を橋に担わせていたんでしょう。憎いですね。

この二つのお話、もっと気になる方は中沢新一の『アースダイバー』を読んでみてください。

めちゃくちゃ面白いし、読めばすぐ「こいつの言ってたことほぼ中沢新一の受け売りじゃねえか!!」って気づくはずです。

ただ、その話を写真展の会場で思い出したことは僕独自の発見ですので許してください。

以上森山大道写真展レポでした。

 

p.s.

今後は頑張ってこんな感じの緩い記事を増やしていこうと思います。

あと、今日僕が行ったAMでの展示は明日までなんですが、東京芸術劇場の方でも森山大道の写真展があるので行こうと思ってます。興味あるひとはお声かけくださると嬉しいです。