可能性と後悔

わかりあえない僕たちは

×3

みなさん、お元気ですか?
お元気ですか?なんて訊かれても知らねえよって思う方が大半だと思いますが、まあせっかくだからご容赦ください。
ぼくの方はですね、まあ元気ではないですけど、生きてます。
生きてます。
それで充分ですよね。
元気に生きてる人の方が珍しいと思いますし。
I'm fine とは言えなくて Not bad って答えちゃうような、そんな人生でよくないですか?
生きてるって、そう言えるだけでよくないですか?
もうちょっと肩の力抜いていきましょ。

生きてる、生きてる、生きてる。

ぼくらは毎日くだらない自分に、くだらない生活に、嫌気が差してばかりだけど、もう少し生きてることに胸を張ってもいいんじゃないですかね。
いや、まあさすがに「おれ生きてるんだぜ?」とかドヤ顔で言われても「知ってる」って応えるか、黙って殴るかしか選択肢はないですけど。
それでも、もうちょっと誇っていいのかもしれないですね。
だって生きるのってしんどいもん。
“友達”なんて言いながら、いつでもそいつの顔色伺ってびくびくして、嫌われないように、あわよくば好かれるように、努力することがしんどくないわけないじゃないですか。
“恋人”なんて言いながら、愛してくれてるのかどうかすらわからなくて戸惑って、はたまた自分が愛してるのかどうかもわからなくて、そんな泥沼の中で一筋の幻想にしがみついて付き合っていくことが、しんどくないわけないじゃないですか。
しんどいですよ。
なんだかここまで書いたら、ホントぼくら頑張って生きてんな〜って思いますね。
世界中のみんなに一列に並んでもらって、前から順番に抱きしめていきたいくらいですよ。お前は頑張ってるよ!無理しなくていいからな!お前はもうちょい頑張れよ!とか言いながら。
まあ、それが出来ないからこんな文章を書いてるのかもしれないですね。

今回これまでの文章の中で一番とりとめがないかもしれないですね。
申し訳ないです。
けど、まあ自分的にはいいんですよね。
きちんと構成された精緻な文章も素敵だけど、自分が何を言いたいのかもわからないまま書き始めて、書いてくなかで色々生まれてくることも整理されてくこともあって、そういう書き方も悪くないですよ。
深夜3時にandymori聴きながらまともな文章書けるわけないでしょ。どうしてもエモくなるし、わけわかんなくなるし、それでも、

生きてる。生きてる。生きてる。