可能性と後悔

わかりあえない僕たちは

映画『ヒミズ』について

「なんだってわかる 自分のこと以外なら」
ぼくらは常に確固たる〈わたし〉を求めて足掻いている。でも、おそらく、そんなものは存在しない。だから、不安になるし、絶望するし、人を傷つける。


ぼくらが〈わたし〉を措定するときには2種類の方法が考えられる。
一つは、「○○ではない」という他者との差異の網の目の中に自らを投企していく方法。つまり、他者の他者として自己措定する方法。
そして、もう一つは、性別・学歴・出身等、様々な属性の束として自らを把捉する方法。
いずれにせよ、ぼくたちは明確にカタチを持ったものとして〈わたし〉を知るのは不可能だ。
前者でいう、否定の集合としての自己が決して閉じることがないように、後者にしても、ぼくたちは属性の束として〈わたし〉ではあるものの、その属性のうちのいずれか一つに還元し得るものではないのだ。
つまり、〈わたし〉とは属性と共に変換・生成しつつある〈なにか〉でしかなく、その変換の過程以前に主体として同定できる〈わたし〉というものはないのだ。
ぼくたちは決して〈わたし〉という安住の地を得ることが叶わないと知りながら、その幻想を追い求めてやまない。


こうした〈わたし〉に纏わる問題の他に、この映画には、被災地の映像を使ったことに対して公開当時賛否両論があったように記憶している。
決して安易に取り扱うべき事柄ではないし、確かに表現としての強度と公共性・必然性を衡量する必要はある。
だけど、ぼくは、この映画には間違いなく良い方向に作用したと思っている。
ぼくは確かにこの映画から、口にしたら陳腐な、けれども大事なものを受け取ったから。

震災について描きながらも、住田や茶沢は被災者ではなかった。彼らは茨城の田舎に住む中学生でしかなく、その生活には殆ど変化はなかった。震災が起こってるんだから助け合おうとか、そんなことは上っ面でしかなかった。彼らにとって、地獄は相変わらず地獄だった。
それは、おそらく僕ら世代にとっての“リアル”だった。
ぼくらには、わからないことが“リアル”だった。
連日のニュース番組で、津波によって街が飲み込まれる瞬間や避難所で暮らす人々を見ても、どこか遠い国で起きている出来事のようにしか思えなかった。
もしかしたらこれは単なるぼくの想像力の欠如のせいかもしれない。
けど、少なくともぼくにはそれが“ほんとうのこと”だった。
そんな空気がこの映画の中、特に住田や茶沢の世代にはあった気がする。周りには確かに被災者が居て、それが現実のことだってわかっているはずなのに、どこか夢の中の出来事のような感覚。
そんな住田の世界は父を殺した夜に一変し、否が応でも“現実”に引き込まれていく。
そして、自首前日、住田が池で銃を撃ったあの夜、ようやくまるで夢か地獄のような住田の世界が“現実”に接続した。カラックスの『ホーリー・モーターズ』でドニ・ラヴァンが言っていた「自分自身として生きる罰」を、住田は引き受けたのだ。
有名なラストシーン、「住田 頑張れ!」ってセリフ。あれは、決して住田だけに向けてたわけじゃないんだろう。第一に被災者の方々へ。そして、みんな、へ向けていたんだろう。
時々、「もう頑張っている人に頑張れっていうのは酷だ」って言う人がいる。言わんとすることはわかる。
けれど、ぼくらには震災が、現実が、わからなかった。それはまだ幼かったからでもあるし、知りたくなかったからでもある。だから、ただ、叫ぶしかなかった。「頑張れ!」って。
あれほど心に刺さる「頑張れ!」はなかった。それでも「頑張れ!」で終わらせないために、まずぼくたちは知ることが必要なんだ。


ここまでだいぶベタ褒めしてきた気がするけど、この映画にもいかにも邦画的な悪いところは沢山あった。それでも、この映画は、口に出したら世界を凍らせる〈ほんとうのこと〉を伝えていた。
その意味でこの作品は、確かに、一編の詩だった。